どうして毎年来ているのか。毎回、7月に、アヴィニョンに演劇祭のために?(1955年くらい前から)
68年以来、私の唯一の休暇である理由は?
なぜなら演劇は、私を構成する要素の1つであり、私自身を作り上げ続けてくれます。というのは、演劇はときどき、思いがけない発見をさせてくれる上に、そういう機会を無限に垣間見ることができ、私たちの生活に知性を与えてくれます。それは、私を豊かにさせてくれる特別な時間です。それがまた、活発な活動をする文化局のあるブルージュ(Bourges)で生活することにした理由です。
アヴィニョンは、生きた演劇を見たり、私たちの時代での演劇の変動、発展を見たりするには格好の場所です。アヴィニョンはまた、今日、ヨーロッパで行われている演劇を知る機会の場にもなっています。
アヴィニョンはとどまることを知りません。いつも何かがあり、繰り返すことがない町です。
ジャニーン・ウィック(Jeanine Huicq)
アヴィニョンに初めて来たのは、1968年でした。:ジャン・ビラールとベジャールが法王庁の中庭で、 "リビングシアター“がカーム広場で、決定的なショックでした。もう1度、アヴィニョンに戻って来る予感をしました。
そして、1974年、ガリオン劇場(Le Théâtre du Galion)の劇団員を率いて、演出した4つの演目を用意して戻ってきました。
- “小さい麦わらの兵隊” をcinéma Galanteで
- “Mamemlin”をL’Ile Piotで
- “5歳のときに、自分自身を殺した”をChamfleuryで
- “ブッフォ(Buffo)”をジョゼフ・ベルネ 通りの学校で
ある年は、芝居を用意して、ある年はただの観客として何年も訪れました。いつも町の中を歩くと、再発見をし、どの街角にも思い出と同時に新しい発見をすることが出来るのは、私にとってはこの上ない喜びです。
25年間の失望することがなく、いつも同じ期待感、休息とリラクゼーションの場である劇場での幸福感
私をいつも受け入れてくれる、ホテル・モンクラールに感謝します。
アラン・サボー (Alain Sabaud)
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